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法学部 前田星先生

『法制史学としての魔女研究』

法学部 准教授 前田 星(マエダ ホシ)先生

北海道大学大学院 法学研究科 法学政治学専攻 博士後期課程修了 博士(法学)
専門分野:基礎法学・法制史
主要研究テーマ:17世紀ドイツの魔女裁判手続および刑事法理論

ヨーロッパ近世史と「法」

「法」は私たちの日常生活を陰に日向に規定し、時に厄介なもめ事を解決するのに役立っています。ところが、法は突然、また大きく変わることがありえます。それも、個々の法だけではなく、法体系全体が変化することがあるのです。もし法がある日突然に変化したらどうなるでしょう。新しい法が敷かれ、今までやってきたやり方が通じず、何が法なのかわからない。すると、社会は多かれ少なかれ混乱するでしょう。日本の歴史上、こういう出来事が発生したことがあります。明治維新に際して、日本はそれまでのやり方を改め、欧米に倣った近代化を余儀なくされます。当然ながらその中には「法の近代化」も含まれましたが、これを法制史学では「法の継受」といいます。
実は、ヨーロッパの歴史においても「継受」が起きたことがあります。11世紀末頃、イタリアに最古の大学が誕生します。そこで古代ローマ法学の研究が盛んになると、著名な学者の下にヨーロッパ中から学生が集まってきました。こうして発展した古く新しい「ローマ法」が15世紀(中世末期)以降、ドイツにも強い影響を及ぼすようになりました。これを「学識法の継受」といいます。ところが、これは社会の中で様々な混乱をもたらしました。何故なら、それが昔ながらの慣習とは違うルールだったからです。例えば、15世紀ドイツ最大の農民反乱であるドイツ農民戦争で、農民たちは領主による「新しい法」による裁判に不満を表明し、「古くからの成文法」で裁判を行うことを要求しています。
法の変更は、それに従う側だけでなく、運用する側にも混乱をもたらします。新しい法をどう使えば良いのか、従来の裁判官たち(貴族や騎士たち)にはわからなかったのです。意外に思われるかもしれませんが、中世では、法学の素養を持つ人々が裁判に直接関わるのは珍しいことでした(裁判には法の知識ではなく、貴族の権威が必要でした)。そのような状況で「学識法の継受」の担い手になったのは、大学で法学を修めた知的エリート(「学識法曹」)たちでした。16、17世紀(近世)というのは、学識法曹たちが、社会に進出していく時代でもあります。私の関心は「学識法曹がどれくらい社会に影響を与えたのか、その際に法学の知識はどう活かされているのか」という点にあります。そんな彼らの活躍の場のひとつが「魔女裁判」でした。

魔女裁判を遂行する学識法曹たち

歴史に詳しい人ならば、「魔女狩り」と呼ばれる現象がヨーロッパ史上実際に起こったということをご存知でしょう。16、17世紀に、ヨーロッパ全体で4万人を超える人々(全体の2割程度は男性)が、「魔女」として処刑されました。ヨーロッパの魔女狩りの特殊性は、それが「裁判」という形を取ったことにあります。当時魔女であることは「犯罪」であり、魔女狩りは裁判制度を活用しながら遂行されたのです。魔女裁判というと、激しい拷問による自白の強制や、悪意の告発による裁判の連鎖などから、「不正な裁判」という印象は強いようですが、実際には多くの部分で当時の訴訟法や、あるいは刑事法学の基準が守られていました(拷問の利用も、当時は合法な証拠獲得法の一つでした)。「ローマ法」の影響を受けていた当時の裁判を正しく遂行するためには、極めて高い法学の知識が必要とされました。新進気鋭の学識法曹たちは、魔女裁判という新しい社会問題に直面することになりました。その過程で、彼らは魔女裁判に関する法学的議論を交わし、論文や意見書としてそれらを残したのでした。
例えば、当時議論の的となった刑法学の学説の中に、「特別な犯罪に対しては、特別なやり方で対応すべきだ」という考え(例外犯罪論)があります。当時、魔女は非常に危険で重大な犯罪だと見なされていました。それ故、この理論に基づいて、拷問の回数や程度は最大限に認められ、時に上限を無視されることさえありました。刑事法学者の中で魔女が例外犯罪であるということを否定する人は多くなかったようです。ただし、特別扱いそのものは認めても、「どこまで特別扱いできるか」という点で論者毎に異同があったことは見逃せません。例えば、「例外犯罪では未成年でも証人になり得る」という意見は多くの論者に共通していたとしても、ある人は「14歳以上なら可」というのに対し、別の人は「9歳でも可」という具合です。彼らは自分が学んだ理論を用いて、魔女裁判をどう扱うべきかを真剣に検討し、それに基づいて行動をしていきました。その結果として一部の学識法曹たちは、魔女裁判の大規模化に加担してしまうのですが、それもまた近世に彼らが残した足跡のひとつと言えます。

法制史から見える景色

その後について、今度は法学の視点から少し述べておきましょう。近世の刑事法と比べての近代的な刑事法の特徴は「世俗化・合理化・人道化」と言われます。18世紀、近代刑法学の先駆者とされる刑法学者チェーザレ・ベッカリーアは、著書『犯罪と刑罰』(1764年)の中で、宗教的な犯罪を非犯罪化すること、刑罰を科す際には合理的な目的が必要なこと、それに伴って過酷な刑や拷問を廃止すべきこと、貧困の根絶と教育の力によって犯罪を根絶すべきことなどを主張しました。彼のこのような思想は、現代の刑事法まで通じており、その根底を為しています。
しかし、彼の主張に比べて、同じ文章の中で彼が魔女裁判を痛烈に批判していたことは、あまり知られていません。彼は、例外犯罪論を否定し、手続上のどんな例外的取り扱いにも批判的でした。牽強付会になってしまいますが、魔女裁判という経験とそれに対する批判が、西欧近代の刑事法の根底を用意したとも言えるのではないでしょうか。言い換えれば、何を克服しようとして、近代刑事法が生まれたのか、それを知ることは、近代刑事法が目ざしたものやその根本に流れる理念を理解することにつながるでしょう。
法制史学というのは、歴史学と法学の二つの側面を持ちます(実はこれらは少し相性が良くないのですが)。法制史学は、それを覗いた人に、一般的な歴史学とも法学とも少し異なる特別な景色を見せてくれます。
※掲載内容は全て取材当時(2024年)の情報です。