広島修道大学 教職課程年報第16号
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■■が付いて、読み易く感じられる。■このように、「明朝体」は、漢字を大量に目で読むための「フォント」としては非常に優れていると思われるが、漢字の「手書き」学習の際の「手本」にするには、不都合な点がある。■《■4■》■様々なニュアンスを表現する手段としての「フォント」■■ここで、いったん大学の授業上の問題から離れて、作品創作の世界にも、少々目を向けておきたい。■■本稿では、漢字の「手書き」学習の際の「手本」としての「フォント」の問題点を述べる事を旨としているが、「フォント」というものの用途としては、「手書き」学習の「手本」という用途は、実はかなり特殊な部類である。こと教育現場において発生する独特な用途といってもよい。■元来「フォント」とは、目で見て「読む」ためのものなのであるから、全ての「フォント」が漢字の「手書き」学習の「手本」としての適性を持っている必要は無い。■私は、「手書き」の「手本」として適さないタイプの「フォント」の存在意義を否定しようとは思っていない。むしろ、「手書き」では書きにくいような字形にデザインされた「フォント」も大いに存在して然るべきと考えている。「フォント」とは、単なる「書体」ではなく、そもそも「印刷用の書体」なのであるから。■例えば「古印体」などといった、多種多様なデザインの「フォント」が存在するからこそ、文字を用いた作品創作の世界がより豊かなものになっていると思う。■■現在刊行される文学作品は、「明朝体」を用いたものが多いが、現代作家の作品の中には、意図的に「明朝体」以外の「フォント」で刊行されたものもある。また、一編の作品の中で、複数種類の「フォント」を使い分けているものもある。■■また、文学作品以上に、現在最も多様な「フォント」を使い分けて大きな表現効果を上げているジャンルとして、漫画が挙げられるであろう。■■今後、より自由な表現のための素材として、更に様々なデザインの「フォント」が創造されていく事を、私は言語文化の一鑑賞者としての立場から期待している。■■そして、アートとして味わうための「フォント」や、スピーディーに読むのに適した「フォント」などとは別個の存在として、漢字の「手書き」学習の「手本」に相応― 23 ―

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