■例えば、「比」という漢字の画数は、正しくは四画である。■「教科書体」では、四画である事が比較的分かり易いデザインとなっているが、「明朝体」では、五画のように見えるデザインとなっている。■本来の「比」という漢字の二画目は、一本の棒を折り曲げたものであるのに対し、「明朝体」では、そこの部分が、縦棒一本と斜め棒一本とを組み合わせたような形(棒が二本あるような形)に見えるのである。■■小学校から高校までの間に、「教科書体」の漢字の字形を十分に消化して身に付けている学生ならば、たとえ大学入学後に、「明朝体」の「比」の五画のように見えるデザインを目にしても、「これはデザインなのだ」と割り切って、自分の頭の中にある「教科書体」に基づいた四画の「比」の字形のイメージを引き出してきて、正しく四画で「手書き」する事ができるであろう。■■しかし、「教科書体」の字体を十分に身に付けていない学生は、大学の授業の中で、教員から「漢字の字形を正確に書きなさい」と指示されると、その授業の中で配られた、目の前に今ある「明朝体」のテキストを凝視して、その「明朝体」の字形をそっくりそのまま真似て「手書き」をしてしまう。その結果、本来は四画であるはずの「比」を、五画で書いてしまう、といった事が起きてくる。■■「明朝体」のデザイン性を理解せずに、そのまま「明朝体」の字形を「手書き」の「手本」としてしまう学生は、特にここ三、四年で急激に増えているように思われる。■■何故、大学の授業で「明朝体」のテキストが主に使われるのか。■■これは私見であるが、大学教員は、様々な「フォント」を比較検討した上で「明朝体」を選んでテキストに採用しているというより、むしろ端から「明朝体」を用いるのを当然の事としている場合が多いように思う。■■おそらく、各専門分野の学術雑誌の「フォント」が殆ど「明朝体」である事から、学術的内容を盛り込んだ大学の授業用のテキストもまた「明朝体」が当然である、というような感覚なのではなかろうか。■■確かに、「明朝体」の漢字は、所謂「窓」(上下左右を線で囲まれた四角い空間)の部分が広く感じられるようにデザインされており、漢字が紙上にびっしり並んでいても、広めの「窓」のおかげで、全体的に明るく見えて、読み易く感じられる。■■また、「明朝体」の漢字は、横棒に比べて、縦棒がずっと太くデザインされているため、特に縦組みにされた場合、上から下へと動いていく読み手の目線に、自然と加速― 22 ―
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