《■1■》■はじめに ■本稿は、大学の授業の一環として、大学生に高度な漢字の読み書きの指導をする際、大学生の漢字学習とフォント どのような障壁に突き当たるかという事について、一教員として体験に基づきながら概論的に述べるものである。 ■ここで、本稿の題・副題に用いた語について、おことわりしておきたい。 ■まず「フォント」という語であるが、この語は近年特に使途が拡大しているように見受けられる。例えば、様々な「書体」全般を、一括して「フォント」と呼んでいる事例がある。また、独特な書き癖の見られる個人の書き文字を、その個人の「フォント」と呼んでいる事例も散見される。 しかし本稿では、「フォント」という語を、原義通りに「印刷用の書体」という意味で用いている。 尚、現在、「明朝体」にも、「教科書体」にも、それぞれ様々なバリエーションが存在する。例えば、新聞に用いられる「明朝体」には各新聞社によって細かいアレンジが施されている。本稿では、様々なバリエーションの個別の特色にまで踏み込む余裕がないので、便宜的に、「明朝体」系統のバリエーションを「明朝体」、「教科書体」系統のバリエーションを「教科書体」と総称している。 ■また本稿では、「手書き」という語を、「印刷に依らずに様々な道具を手にして人が自ら文字を書き記す行為」という意味で用いている。「様々な道具」とは、筆・鉛筆・シャープペンシル・チョーク・ホワイトボードマーカーなどである。 一般的には、筆以外の道具を使って書いている場合に対しても、まるで筆を使っているかのように、「筆記」・「肉筆」などという表現があてられるが、本稿では、敢えてそのような習慣的な「筆記」・「肉筆」などの表現を避け、代わりに「手書き」という語を用いている。 広島修道大学■人文学部■腮尾尚子 ― 19 ―——■手書きの手本として見た場合の明朝体・教科書体■——
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