広島修道大学 教職課程年報第16号
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■④作成した「修学旅行説明会のお知らせ」を複数のグループで共有する。■⑤他のグループのアイデアで良かったと思ったものを加筆する。■■■■多くの学生は,まず日本語の難易度を下げようとする。漢字をひらがなにする,ふりがなをつける,簡単な言い回しに換える等である。しかし,グループワークを通してそれだけはいけないということに気づく。「修学旅行」や「総合的な学習の時間」は,日本の学校制度に基づく言葉である。しかし,これらの言葉を書き換えようとしても上手く表現することは難しい。また,「新緑の候」という時候の挨拶から文章が始まるのは,日本文化に根差した表現方法である。文章としての丁寧さを出すことはできるが,「修学旅行のお知らせ」とは関係ない部分になる。丁寧さを出すための文章は,分かりやすさを考えた時に必要なのかどうかについても検討していく。最終的には,多くのグループでは必要な内容のみを残した簡潔な文章のお知らせが出来上がる。■このグループワークを通して,「日本人」は日本の学校において言語面と文化面の両方において圧倒的に有利な立場にあることに気づく。「日本人」が日本特有の言葉や表現方法を容易く理解できるのは,日本文化の中で育ち,そして日本文化をもとにした学校文化の中で教育を経験しているからである。このように日本の学校が日本語と日本社会への理解を前提としているという「当たり前」に気づくことが,自らの「特権」に気づくきっかけになると考えている。また,「お知らせ」という学校にとっては日常的に配布される身近な素材を用いることによって,学校の中で「当たり前」に使っているものを多文化的な視点で見直すことの必要性を実感することもできる。学生が教職課程の段階で「特権」に気づくことは,学校の中の言語的・文化的多様性を尊重し,外国人児童生徒等やその家族に寄り添うことができる教員の養成につながると考えられる。■■.おわりに■■本稿では,外国人児童生徒等とその家族に対応する力を持った教員を育てるためには,教職課程においてどのような学びが必要なのかを検討してきた。日本語教育学会( ■ ■)が示しているように,必要とされる資質・能力は多岐にわたる。しかし,多くの教職課程において,外国人児童生徒等について学ぶ機会が十分に確保されていないという現状がある。また,学ぶ機会の確保だけではなく,マジョリティである「日― 15 ―

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