大学広報
University Public Relations

2017作品コンテスト入賞作品

蒲原の「歴史」を世界とつなげるために

静岡県立富岳館高等学校3年  石原 航希

 「わたしのまちを世界とつなげる」というテーマを聞いて、「歴史」という二文字が頭の中で生まれた。そうだ、私の住むまち蒲原には「歴史」がある。その「歴史」という強みを生かして世界とつながることができないだろうか、そう考えたのだ。
 蒲原は昔、律令制の駅であり、中世には東海道の宿場町として栄え、戦国時代には武田氏の伝馬役、つまり宿場で人馬を提供する義務を務めた。また、家康の御殿が建てられ、織田信長を接待したことでも有名であり、小田原征伐の際には豊臣秀吉も立ち寄ったと言われている。私はこれが蒲原の誇る「歴史」だと考えている。昔の町並みがそのまま残されていて、間近で町の歴史を感じることができるのも蒲原の魅力だ。
 日本の歴史に興味を持つ外国人が増えている今、蒲原に訪れる観光客がいるのではないかと思い、先日私は久々に東海道・宿場町の建物や面影が残る街道に行ってみた。蒲原の宿場町はけっこう有名な場所で、テレビの取材で取り上げられることがあるから観光客がいるんだろうなと思っていたが、そこには観光客の姿はなく、住人に数人すれ違っただけだった。そういえば、ここら辺はやけに人が少ないなと昔思ったのを思い出した。では、なぜ観光客の姿が見られなかったのだろう。そう考えながら帰ろうとしたとき、住人だろうか、一人の老人が花壇に水を与えていたため少し話を伺ってみることにした。老人によると、今ここでは高齢化が進んでおり、さらに建物の老朽化も進んでいるそうだ。また、若者の関心離れも起きているとのことであった。残っているのは高齢者と老朽化した建物だけか。もしかしたら、歴史があるというだけで満足し、魅力を伝えることが出来ていなかったのかもしれない。それは歴史ある町蒲原の裏の姿であった。
 これでは世界に魅力を伝えるどころか、全国に伝えることすら恥ずかしくなってしまう。様々な人々が集まれば、町は活気で溢れる。そこで、蒲原を賑わせる方法を考えてみた。
 今から約400年前の江戸時代、東海道を通って旅をする人々がたくさんいて賑わっていたに違いない。移動手段は主に馬であったため、所々で休憩をする必要があった。その休憩する場所こそが蒲原だ。今でいうサービスエリアのようなものである。サービスエリアは常に人々でにぎわっている。それはなぜか。それは魅力があるからだと考える。サービスエリアは、その地域の特徴を生かして人々を呼び込んでいる。
 サービスエリア巡りが流行する現在、これをモデルにして、「東海道五十三次」と呼ばれる五十三全ての宿場町を巡るツアーというものを思いついた。周辺の町や市、県と協力して歴史の魅力を伝えようというプロジェクトだ。この思いつきが実現すれば、今まで点と点であった宿場町が線となってつながり、歴史の魅力が日本に、そして世界へ伝えることができると思う。
 自分の住む町と世界をつなげるために大切なことは二つあると考える。一つは自分の住む町に関心を持つことだ。関心がなければ何もせずに終わってしまう。しかし、関心を持てば自分の住む町には素晴らしいものがあると気づくことができる。そして二つ目は、「歴史」を知り、人々に伝えていくことだ。伝えることが途切れた瞬間に歴史はただの事実になってしまう。グローバル化が進む現代は世界とつながることは昔よりもはるかに簡単だ。アイディアで世界は変えられる。私は蒲原が世界とつなげられるように行動していきたい。